僕は珈琲豆の焙煎技術や、お店で出している珈琲の味に、自信を持ってお出ししている。
お客様に「美味しいですね!」と言われたら、「はい、美味しいですよね」とか、「はい、美味しいんです」とか平気で答える。
あまりないのだけど、逆に「これはあんまり好みじゃないなぁ」とか言われたら、「そうですか、どんなのがお好みですか?」とか、「そうですか、どうしてでしょうね?」と答えて、メッセージを受け取ろうとする。
自信を持っている理由は、僕は日々この10年美味しい珈琲作りの努力をして来たのはもちろんだけど、何よりも、一番の理由は僕が珈琲を作っているという感覚をもっていないから。
作っているのは、僕と繋がった大いなるものの力が作っていると信じているからなのだ。
僕はその力を再現出来るように日々努力をしているけれど、全然至らないだろう僕の身体をなんとか使ってもらって、その中でもベストなものを作り出しているのだと信じている。
だから自信がある。
僕が一番初めにこの力に気づいたのは、小学生で柔道をしていた時。
毎日技の打ち込みをして、身体に、技に入る流れ・動きを染み込ませる。勝手に身体が動くくらい毎日毎日、技の打ち込みをした。
そうした技が試合の時にでる。自分の考える間も無く、よろけて倒れる寸前で、相手を投げ飛ばした時に、あれれれ? なんだあれは? となる。
僕が投げたけど、僕の力じゃないという感覚。
音楽でバンドをやっていた時も同じだった。サックスを吹いていた。毎日スケールの基礎練とか好きな音を研究したりを楽しくて没頭していた。
バンドはセッションで音楽を作っていた。ライブもセッションの様に構成だけ決めた曲を作り演奏していた。毎回違う演奏になるけど、ちゃんと同じ曲になっていた。
そのライブでも僕は演奏しつつ、自分の出す音や演奏に驚いていた。自分で演奏しているのに、自分が演奏したとは思えないと。
これらの経験から、そうか、良いものを作るのは僕じゃないんだと分かった。
今僕は珈琲に集中している。そしてお店作りに集中している。また、お店で行うイベントやイベントに関わる人に集中している。
僕が努力して作るものは、僕の身体を使って大いなるものが作っている。
僕と関わる人、例えばお店のスタッフやイベントを一緒にする人も、大いなる力が働いて集まった人だと思っている。
だから、その人たちの力も、大いなるものの力が働いていると信じている。
だから自信を持って、「素晴らしいですよね!」と言える。
これが、自信を持ってやれるわけ。
大いなるものの力とは、愛の力だと思う。
愛の力をもっと広めて行きたい。